【宿泊記】ITCマウリヤ(ニューデリー)のブログレビュー
2月最後の出張でニューデリーに行き、マリオット系列のITCマウリヤ ラグジュアリーコレクションホテルに滞在しましたので、宿泊記(ブログレビュー)を残します。
3日間滞在し、ニューデリー市内の観光もしたので合わせて参考にしてください。
チャンギ空港から出発
今回もチャンギ空港・ターミナル3から出発します。少し時間があったので、Marhabaラウンジに入り、仕事をする事にします。ラウンジにバタフライガーデンが隣接されており、蝶々が優雅に舞っていました。
食事については普通のラウンジの食事なので可も無く不可も無くといった具合でした。
そうこうしている内に搭乗時間が近くなったので、搭乗ゲートに移動です。ゲートに移動途中にロボットバリスタがコーヒーを販売していました。新しいガジェットをどんどん取り入れるのはチャンギ空港ならではですね。
因みに出発ゲートの案内のすぐ隣のゲートがサウジ航空でジェッダ行きでした。メッカ巡礼ツアーのお客さんも多数いるらしく皆様楽しみにしている様でした。巡礼が無事に行えます様に!
フライトが隣同士
フライト中〜ニューデリー空港
半年ほど前のインド出張同様今回もVisa on Arrivalで入国でしたが、案の定やたらと入国まで時間が掛かりました。笑
先日のシドニー出張での自動化を考えると余りにも非効率だったので、インド人の同僚にも「その辺ってどうなの?」と聞いた所、入国管理の審査官の仕事を守るというのが効率化の大きな阻害要因になっているとの事でした。確かに超官僚的なインドで今までハンコ押すだけだった仕事が明日から無くなりますよというメッセージが受け入れられるとは到底思えないので納得してしまいました。
因みに今回の出張でAQIは167と大気汚染のレベルは前回の約1/3で日中は日差しが見える程改善していました。やはり季節的な要因が大きい様です。
今回はUberでは無くホテルのタクシーでピックアップです。
ITCマウリヤ ラグジュアリーコレクションホテルのレビュー
今回滞在したのはITC Mauryaというマリオット系のホテルです。「Diplomatic Enclave」と言う各国大使館の密集エリアのホテルだけあり格式はかなり高く、ロジャーフェデラー、ボリウッド女優のプリヤンカー・チョープラ、内山田トヨタ元代表取締役会長と行った錚々たる方々が大物ゲストとしてモニターに投影されておりました。
言う事で風力発電機の模型
構図的にゲルニカ丸パクリなのはご愛嬌で
ITCマウリヤの宿泊部屋の様子
今回は3泊でしたが部屋に案内された後、どうも匂うなと思っていたら灰皿が置かれており喫煙室だった事が分かり、二日目以降は禁煙室に移動しました。勿論タバコの匂い以外は特に不都合も無く、清潔に保たれていました。
二日目以降に滞在した部屋は別棟に位置しており、シャワーエリアの装飾が非常に印象的な作りでした。
The Pavillionでの朝食とジムエリア
ジムで軽く汗を流してから一階の”The Pavillion”で朝食を頂きます。大使館エリアと言う事で米国とインドの国旗のピンバッジを胸につけた米国の政府関係者の方々がモリモリ朝ごはんを食べていたのが印象的です。
食事内容的には他のインドのホテル同様インド料理と西洋料理の両方が楽しめる形になっています。特色としてビーツや苦瓜のフレッシュジュース以外に”Bottle Gourd”のジュースがありました。調べると日本語で「ユウガオ(夕顔)」、つまり瓢箪の一種の野菜の様です。ちょっと珍し過ぎるのでこちらはパスしましたが、ビーツと苦瓜のジュースはとても爽やかで美味しく頂けました。またフルーツも新鮮で美味しかったです。(普段朝はあまり食べないので食事は紹介のみです)
広さはまずまず
苦瓜ジュース
サンバルスープ
今回の出張の目的
今回は会社のCSRイベントとしてデリー近郊のノイダと言う町の学校で内装のお手伝いと寄付金を渡す式典に参加しました。こちらの学校は慢性的な資金不足に悩まれているそうで、会社からしたら大金ではありませんが大いに役立つそうです。いつかこの学校から世界に羽ばたく人材が出てくる事を楽しみにしています。
耳を日除けに使う牛
流してしまいました・・
チームビルディングでニューデリー市内観光
チームビルディングとして当初はタージマハルに電車で行こう!という希望がアメリカ人の上司から出ましたが、流石にそれはちょっとと言うコメントがインド人同僚から出たので折衷案としてニューデリー市内のインド門とクトゥブ・ミナールへ行く事になりました。
最初にインド門へ向かいました。こちらは第一次大戦の凱旋門と言う事で壮大な建造物でした。インド人の同僚の説明を聞くと各ブロックに戦没者の名前が刻まれていると言うのでズームすると確かに人名が書かれていました。戦没者の慰霊の為と聞くと非常に厳粛な気持ちになります。
刻まれている
ここから一旦クトゥブ・ミナール近辺まで車で移動し、昼食を取ります。かなり高級なブランド店が立ち並んでおり、非常にハイソなエリアでした。ここでMisoSexy(なんつー名前ですか。。)と言う多国籍アジア料理のレストランに入りました。
やはり上流階級の間で和食と言うかアジア料理の人気はかなり高く、非常に洗練された料理が出されていました。
バーカウンター
クトゥブ・ミナールが見える
いよいよクトゥブ・ミナールへ移動です。クトゥブ・ミナールとその建造物群は世界遺産として登録されています。
クトゥブ・ミナール自体は1200年ごろに建造されたモスクでインド最古のミナレット(イスラム教で礼拝を呼び掛ける為の塔)とされるそうです。80年代に塔内部で死傷事故があった為、現在は内部へは入れません。
デリーを占領したイスラム軍の将軍が27のヒンドゥ寺院やジャイナ寺院を取り壊し、その部材を用いてクトゥブ・ミナール(勝利の塔)を建造したそうですが、その歴史を聞くとなかなか複雑な気分になります。
またクトゥブ・ミナールのすぐ近くに「デリーの鉄柱」と呼ばれる2m程の鉄柱があります。この鉄柱は1500年以上のあいだ地上部分に限り錆が生じていない事で有名であり、インドの精鉄技術の高さの証左だとインド人同僚が自慢しておりました。
面白かったのはデリー近郊の世界遺産という事もあり、世界中から観光客が来ていました。インド人のガイドさんが英語で説明しているのは想定内でしたが、日本語やイタリア語が聞こえてきたので中々ビックリしました。
日本でも外国人観光客向けのガイドが非常に儲かると言う話を聞いたので、人気のあるガイドさんはかなりの高給取りの可能性もありますね。
デリーの鉄柱
流石に炎天下の中の観光だったので、一旦アメリカ人上司が滞在するLeela Palaceで休憩する事にします。
名高いLeela Palaceだけあり、デリーの喧騒が嘘の様に感じられる中庭でお茶を頂きました。(余談ですが一泊当たりの滞在費は今回宿泊したITC Mauryaの約2倍でした・・)
この後帰りのフライトまで余り時間が無かったので名残惜しかったですが、同僚とお別れして急いでホテルで荷物をピックアップし、空港に向かいます。
ここで乗ったタクシーがマルチスズキのSUVであったり、空港途中の道のりでコニカミノルタの宣伝を見つけたりして、日本企業が頑張って企業活動を行っているのを見て、自分も頑張らねばと言う気持ちを新たにしつつ帰路に着きました。
今回はここまでです。ここまで読んで頂き有難う御座いました!